目次
はじめに
コロナウイルスの感染拡大が経済に与える影響は深刻な状況となっています。
政府による緊急事態宣言に伴い全国で店舗の営業自粛や外出制限などの要請がされていました。これらの要請はコロナの感染拡大防止には必要不可欠ですが、経済的に大きな損失を伴い、ダメージも大きいと言えます。
今回はそんなコロナショックが収束した後の世界経済がどうなるのかについて解説します。
経済のV字回復は可能か?
最近の世界的な株式指数の動きをみると、コロナショックによる暴落から回復が続いています。
4月における株価の動きとしては7~9月の第3四半期から、経済がV字回復するというシナリオが織り込まれるような動きとなりました。
実体経済でもアメリカをはじめとして、ヨーロッパや中国、韓国などのアジア圏においても経済活動の再開を模索したり、はじめる動きがでてきています。
しかし5月になり「経済は本当にV字回復をするのか?」という迷いが株式市場にもじわりと広がってきており、株価はダウ・日経平均ともボックス圏内での動きとなってきています。
そして経済の回復はV字ではなくU字や、場合によっては経済停滞がしばらく続くL字もあるのではという声が聞かれるようになってきました。
ビフォーコロナとアフターコロナにおける価値観の変容
コロナの感染拡大がどれくらい長期化し、それによって経済がどの程度ダメージを受けるかは神のみぞ知るといったところですが、ひとつ言えるのは、ビフォーコロナとアフターコロナを比較すると、あきらかな価値観や世界観の変容が起こる可能性は高いということです。
例えば現在飲食店は軒並み壊滅的ともいえるダメージを負っていますが、多くの経営者はコロナが終わりさえすれば、もとの売上が確保できるという考えをもっているように思われます。
しかしこのコロナショックを機に、今まででは考えられなかった「WEB飲み会」が定着しつつあります。
そして当初WEB飲み会に懐疑的なイメージをもっていたとしても、実際体験し「意外と楽しめた」という感想をもつ人々が増えてきています。
こういった現象は、仮にコロナが収束したとしても、この「WEB飲み会」が今後社会に一部定着していく可能性があることを示唆しています。そうなった時既存の飲食店においてはそれだけ需要が減退する要因にもなりえます。
アフターコロナにおける飲食店は、これまで当たり前すぎて誰も考えもしなかった「なぜWEBでなく飲食店で飲み会をするのか?」という問いに対する答えが求められるのではと考えられます。
つまり改めて飲食店という場の居心地の良さであったり、サービスや料理の質などの付加価値を問われるのではないかということです。
企業に出社することの意義
生活に及ぼす影響が大きい「働き方」の世界でも、価値観の変容がおこる可能性が高まっています。
これまで一部を除いて、ほとんど進んでこなかった在宅ワークについては、今や企業に課せられた義務になりつつあると言っても過言ではないほどの社会的風潮になってきています。
コロナが完全に収束したとしても、もともと人口密度が高く、感染リスクだけでなく自然災害リスクも高い日本においては、リスクヘッジという観点において、また少子高齢化が進むなか、女性や高齢者などの優秀な働き手を確保するという観点からも、今後在宅勤務が定着し加速する可能性が高いと言えるでしょう。
そうなった場合、これまでは当たり前すぎて考えてもいなかった、「なぜわざわざ会社に出社し仕事をする必要があるのか」「在宅ではなく会社ですべき仕事はなんなのか」などといったことが真剣に考えられ議論されるようになるのではないでしょうか。
積極的な財政出動と金融緩和が将来にもたらすもの
各国ともコロナショックによる危機的状況による経済的なダメージを少しでも和らげるため、現在積極的な財政出動と金融緩和が行われています。
特に日本に関して言えば、コロナショックがおきる前の段階で国が背負っている借金はGDPの240%あり、さらに日銀がその借金の過半数を肩代わりするといういびつな構図が出来上がっていました。
今回のコロナショックにより、こういった状況はさらに加速度的に進行することになります。これらが将来にもたらす副作用は、アフターコロナの経済において、金利および物価の上昇や、増税など大きなネガティブ要因となり得る可能性を秘めています。
そして企業においては、経営戦略や財務戦略面などに、個人では保有する金融資産や生活への影響が及び、新しい価値観をもった上での意思決定が必要になってくると予想されます。
コロナショック後の世界経済で予想されること
これまでの内容を踏まえて、アフターコロナ後の世界経済は、様々な分野でビフォーコロナにおいて常識であった価値観が刷新され、新たな価値観が登場する可能性が高いといえるのではと考えます。
つまり必ずしもすべてが元の状態に戻るというわけではないということです。そういった事を念頭に新しい時代における新たな価値観による付加価値とは何なのかを問い続ける姿勢が必要となってくるのではないでしょうか