はじめに
1952年の吉田茂首相(当時)が政府関係者を集めて「各界において功績、功労のあった方々を招き日頃の労苦を慰労するため」という名目の下、芸能界やスポーツ界など各界から有名人が招かれ、新宿御苑で桜を鑑賞するという行事が行われています。
この毎年4月首相関係者により開催される「桜を見る会」にて、公職選挙法違反や反社会的勢力の存在など、与党は野党から厳しい批判や追及を受けています。
野党の追及はとにかく厳しく、連日新たな首相側が虚偽の報告をしていた事実が発覚したなどとニュースが飛び交っています。
しかし、今回の「桜を見る会問題」ではそもそも何が問題なのか分からない方も多いと思います。
そこで今回は、桜を見る会について現在野党が激しく追及している論点について説明していきます。
政権の私物化:政治資金規正法と公職選挙法違反の疑い
桜を見る会は毎年1万人ほどの来場者によって行事を行うものなのですが、年々来場者が増加し、直近の来場者は1万8000人だったそうです。
また、開催費も5,500万円かかっており、税金で賄われているため、桜を見る会はその開催目的について厳しく追及されるのです。
というのは、今回問題になっている内容の一つに、安倍首相の後援会関係者が多数招待されていたとのことで、政権関係者をいわば買収した形になっているのではないかという公職選挙法違反の疑いがかかっているのです。
また、首相はこの追及に対し当初「招待者の取りまとめに関与していない」と明言していましたが、後になって招待者の推薦に関与していたことが発覚しました。
また、桜を見る会前日の夕食会についても、その開催費が政治資金収支報告書に記載されておらず、それに対し、野党は税金を濫用しているとし政治資金規正法違反の疑いも指摘しました。
首相はそれに反論する形で「費用は参加者の自己負担であるため記載する必要はない」と発言しました。
そこで、野党側は招待者名簿の開示を求めましたが直前に破棄しており、また夕食会の明細も「存在しない」として、参加者そして夕食会費用の支払い経路を不透明なままにしています。
論点として、多くのメディアでは公職選挙法違反や政治資金規正法違反に対する政権への怒りが向けられている様相も強いですが、実際のところ識者の間では、虚偽の発言が相次いだところが問題視されています。
加えて、与党による虚偽の発言と野党による執拗な追及により議論が長期化してしまい、そこで税金の無駄遣いが発生してしまうことが問題なのではないかという意見も出ています。
反社会的勢力の関与
また、元山口組の組員が参加していたことがSNSへの投稿で発覚しました。
元組員が自身のフェイスブックで安倍首相とのツーショットを載せたことで、野党は桜を見る会と反社会的勢力の関与を疑っています。
この野党の追及に対し、菅官房長官は11月27日午後の記者会見で以下のように反論しました。
「反社会勢力についてさまざまな場面で使われることがあり、定義は一義的に定まっているわけではないと承知しております。・・・(中略)・・・その方は結果として会場にいらしたんだろうということを申し上げました。反社会勢力が桜を見る会に出席していたということは私自身は申し上げておりません。」
つまり、反社会的勢力について意図的に招待したわけではなく、たまたま参加していて未然に防ぐことはできなかったということです。
また、反社会的勢力の関与疑惑はこれだけではなく、ジャパンライフ元会長が2015年春の「桜を見る会」に招待されたことを宣伝していた問題も野党は追及していて、疑惑が深まっています。
ジャパンライフの元会長というのは山口隆祥氏を指し、マルチ商法で行政処分や家宅捜索などを受けていました。ただ、消費者庁の行政処分が行われたのは2016年以降で、山口氏が桜を見る会に参加したのは2015年のことです。
また、同氏が反社会的勢力であるかどうかについても議論の余地があり、野党のむやみやたらな追及とも取れます。
この反社会的勢力の関与疑惑についても野党の追及ほど識者や国民の関心は高くなく、世論調査では内閣の支持率は数ポイントしか下がっておらず、また「桜を見る会を廃止すべきかどうか」について賛否が分かれています。
さらに、野党の支持率が上がっているわけでもなく、一方で桜を見る会に対する野党の追及に対し、世論調査では「説明に納得できない」とする人が70%となっていたことから、恐らく国民の関心は説明責任を果たして、議論の長期化は避けてほしいといったところかもしれません。
まとめ
国内経済は鈍化気味で、早期の改善が重要視される中、国会でまたも生産的ではない議論が繰り返されていることから、今回の桜を見る会の問題について国民の関心も薄れていることが世論調査からうかがえます。
やはり、公職選挙法違反や政治資金規正法違反、反社会的勢力の関与疑惑についてはその後の説明で責任を果たし、誠実に対処すべきではないのかというのが一般的な見方になりつつあるようです。